本当は去年のはずだった

そう、私たちの旅の計画は、1年前に実行する予定でした。

ところが2015年の2月に、今まで大きな病気をしたこともなく元気だった父が、多発性骨髄腫という血液のガンの末期であることが判り、危篤を乗り越えて余命がわからない状態だったので、旅を延期にしたのです。

他界したのはちょうど1年前。今日は命日です。一周忌は既に済ませているので、今日は母とアキオの3人で、父と一緒に行きたかったご飯屋さんでお昼を食べて、いつもよりたくさん父の話をしました。

私が命の終わりに初めて立ち会ったのは、二十歳の時に飼ったキャバリア犬のロビンの最期。10年という短い命の終わりは、強心剤を与えてしまったがために悲惨な結末で、立ち直るのに時間がかかったのです。

しかし、父の最期は、今あらためて思い返しても笑いがこみ上げてくるような、面白い逝き方でした。

→ 5月12日:最期の贈り物


私は小さい頃、よく、死について考えては、怖くて震えていました。自分という気持ちがいったいどこへ消えてしまうのだろうかと想像すると、ブラックホールの暗黒のように恐ろしかったのです。

父が終わりを迎えようとしている時、私は看護師さんに尋ねました。
「死とはなんだと思いますか?」
すると看護師さんは、こう答えました。
「意識がなくなるということでしょうね」

答えは人の数だけあるようにも思えるし、どれが正解かなんて、きっと誰にもわからない。私は「身体がもたないこと」だと思っています。

「人間の脳は200歳ぐらいまで働くけれど、身体がもたいない」と、脳機能学者の苫米地さんが言っていた。その影響かもしれない。でも、目の前で弱っていく父を見ると、確かにそう見えたのです。


「あんなに偉そうにしていても、どんなに未来を思い描いても、身体の修復がきかなければ人は死んでしまうのだ」ということを身をもって教えてくれて、しかも末期に大笑いさせてくれた父が、「やりたいことは、元気なうちにするのがイチバン!」という、人生で一番大事なことを私に教えてくれたのです。

父の死に立ち会うまでの私は、よその国をバイクで旅するなんて怖かったから、ちっとも乗り気じゃなかった。だから、父が病気になり、旅が延期になって、ホッとしてた。それなのに、「行かなきゃ死ねない。それなら早く行きたい」と思うようになった。


去年旅に出なくて、今から始まる旅は幸運に恵まれていることが、言葉にしなくたってアキオと分かり合えている。それは二人旅の準備として大切な要素。

私はどちらかというと一人で行動することが好きで、誰かに自分の行動を決められると辛くなる。アキオのことは大好きだけれど、1ヶ月以上のあいだ四六時中たのしく行動できる自信はなかったんだけど・・

アキオとの付き合いは、かれこれ16年になるけれど、父の死を共に笑い合えたことと、今月に入ってから一緒に過ごす中で、相手を思う気持ちが急成長!した気がします。

あした車検やね☆



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