エストニア6日目

昨日はローマンのお祖父様のパーティーに招待されて、飲んで食べて踊って愉快。

アキオのここ数日は、少し不調でした。ペテルブルグで連日連夜の朝までお喋り。昼夜の逆転に続き、エストニア初日はフェス前夜祭のパーティーに参加してテント泊。ペテルブルグで毎日健康な食事を戴いていたのに、食事を疎かにした途端、お腹が痛くて吐き気がすると言っていた。下しているのではなく痛むと。ロシアを出たストレスもあるかもしれなかった。

だから、昨日のパーティーでは、挨拶のお酒をウォッカグラスに2杯飲んでダウン。ダウンしたおかげで、体の調子が整えられた様子。アキオは今日、すっかり回復。私は安心。


2日間滞在したゲストハウス(ホテル)の奥さんは、日本人が来たのは初めてだと、とても喜んでくれた。ここの朝食は一食1000円と高価なので、私たちは朝ごはんを注文していなかった。すると今朝、奥さんは出発前の私たちのために、コーヒーとクラッカーとクッキーを振舞ってくれた。


そして再び、タリンに戻り・・・


ハーレーダビッドソン・タリンへ。

ドライブベルトのテンションが緩いという指摘をローマンから受けていた。このままだとベルトが切れる可能性が高いと。エストニアから西へ進むなら、万一切れても予備のベルトを持ってきているので問題無い。でも、ここから北へ向かうなら、調整は必須。

ということで、飛び込みでハーレーショップに行き、「ベルトのテンションが云々」と伝えると、すぐに作業を始めてくれるようだった。

私たちは、店内の2階に上がり、50セントのコーヒーを二人で飲み、外にタバコを吸いに行き、私の一服が終わったと同時に、バイクが戻ってきた。その間10分程度。あまりにも早いので「あれ?ダメだったのかな?」と案じていたら、作業は終わって完璧だと。しかもお代は要らないと言う。男前な人々。


今日はエストニア最後の夜ということで、オールドタウン傍にある高価なホテルに宿を取り、散歩しながら国旗シールを探し、夜ご飯はこの写真のお店で食べた。メニューを開いて値段におののき、最小限の食事。

エストニアの物価は、日本と同じぐらい。物によっては日本よりも少し安い。観光の中心地では高い。古き良きものと共存して生きているのは、日本人が見習いたいところ。治安は日本より安全に見える。


素晴らしい人に出会うと、より離れ難くなる。もっとゆっくり旅をしたい。だけど、命には限りがあり、私は旅を終える日を待っている。そしてその先に進みたい。

今まで出会ってきた感動はすべて、端的なブログとしては書くことができない。

私たちは、バイクを降りれば、ただの観光客だ。バイクは武士の刀のようだ。

明日から、北上します☆



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